世界ミステリーツアー「奇探(キタン)」

世界中には奇妙な事件や怪奇現象が数多く数多く発生している。
科学的に説明のつかないもの、推測すらおぼつかないものなど様々だ。
当サイトでは、これまでにあった数々の奇妙な事件をいくつか紹介したいと思う。

オーランメダン号事件

1947年6月、オランダの商用大型船、オーラン・メダン号の乗組員全員が死亡するという謎の事件が発生した。
この船の乗組員から乗組員のほとんどが死亡した事を告げ、自身も瀕死の状態である事を伝えて無線は切れた。
無線を受信したのはアメリカ船舶のシルバースター号である。

この無線を受けたシルバースター号は、直ちに現場にかけつけた。
現場を見たシルバースター号船員は唖然とした。
新でいるのは人間だけではなかった。
犬などの動物までもが凄まじい形相で死んでいたのである。
船体は無傷だったが、やがてオーラン・メダン号は激しい爆音とともに大爆発を起こした。
シルバースター号の船員は、撤退を余儀なくされ、間もなくオーラン・メダン号は沈没した。
後日原因の調査が実施されたが、大爆発と沈没によって当時の技術では原因の解明ができなかった。
だが、当時現場に急行したシルバースター号の乗組員から、一つ気になる証言がなされている。
事故当時、オーラン・メダン号はサメの大群に取り囲まれていたというのだ。
このことと謎の大量死との因果関係は全く不明だが、気になる情報である。

キャロライン・ウォルターの墓の謎の花束

1867年、ドイツのフライベルクという町で16才の少女が亡くなった。
この事件の奇妙な点は、墓に毎年花束が寄せられている点だ。
置いている人物は全くわかっていない。
まぁここまではたいした話ではないのだが、その花束が置かれ続けている期間がなんと148年だ。
もちろん、一度置かれた花束は1週間位で処分される。
枯れて腐ってくるし、犬などがくわえてどこかに持っていってしまう事もあるだろう。
つまり、毎年誰かが花束を確実に置いているのだ。
しかも148年間だ。
一人の人間では不可能で、子孫3代くらいにわたってその意思を受け継いで継続したとしか考えられないのだが、果たしてそんな事が可能なのだろうか?
遺書を残して意思を受け継ぐ事は理論上可能だが、人の意思とはそんなに固いものなのだろうか?
摩訶不思議な出来事である。

ソッダー・チャイルドの消えた遺体

その事件は1945年12月24日、まさにクリスマスイブの夜に起こった。
9人家族のソッダー家は火災に見舞われ、なんとか子供4人は外に連れ出して難を逃れたが、残念ながらのこりの5人は亡くなってしまった。
ここまではよくある火災事故だが、不思議なのはここからである。
いくら捜索しても遺体が見つからないのだ。
さらに奇妙な事がある。
火災事故から20年後、残されたソッダー家に差出人不明の手紙が送られてきたのだ。
その文面には、火災で亡くなったはずの子供の一人、ルイスの名前が記されてあったのだ。
本当にルイスだったのかどうかは定かではないが、両親はこの手紙の差出人が本当にルイスなのかどうかを確かめようと調査に乗り出した。
しかし、真相はわからないまま、両親は2人とも他界してしまった。
今となっては真相は闇の中となってしまったが、奇妙な事件である。

D.B.クーパー事件

1971年11月24日、アメリカでノースウエスト航空11便がハイジャックされる事件が勃発した。
機内には乗員6名と乗客36人が乗り合わせていた。
犯人は爆弾を持ち込み、途中、シアトルのタコマ国際空港に緊急着陸した。
そこで犯人は現金約1億円とパラシュート2つと、人質2名と交換した。
途中、犯人は機体の高度を下げるよう指示し、現金を持ってパラシュートで脱出した。
その後捜索が行われたが、犯人を発見することはできなかった。
<死亡説>
事件から9年が経過した1980年2月13日、ワシントンのバンクーバーにおいて、コロンビア川付近に遊びにきていた家族が、身代金の一部(5800ドル)を発見した。
このことから、犯人はコロンビア川付近に着地した後、死亡したという説が濃厚となった。
しかし、その後は「逃亡に成功した」という説や、2001年に老衰で死亡した男性が犯人だったとする説など、様々な情報が錯そうした。
結局のところ、真相は明らかとならないまま、この事件は迷宮入りとなった。